old navy never die

記念すべき軍艦企画第一回目ですが、今回は大日本帝国海軍戦艦「長門」を紹介します。
自分が一番好きな戦艦です、阿川弘之著・「軍艦長門の生涯」を読んで心に残った軍艦でした。
自分は軍艦長門の生涯を読んで、すっかり日本海軍贔屓になりました。


軍艦「長門」諸元
艦名:長門 水線長:213.36m 最大幅:28.96m 速力:26.5kn 基準排水量:32720t 機関出力:80000hp
建造:呉海軍工廠 航続:5500海里/16kn 兵装:主砲40cm2連装砲×4 同型艦陸奥

長門日露戦争後の日本海軍が計画した八八艦隊計画(戦艦8隻・巡洋艦8隻建造計画)に基づき、40cm砲搭載戦艦を8隻建造する計画の1番艦として1920年に竣工しました。
しかし八八艦隊計画が列強の関心を刺激し、ワシントン海軍軍縮条約提起のきっかけになり、これにより長門陸奥以降の同型艦は計画として潰えてしまいました。
ワシントン軍縮条約制限下の時代では、40cm砲搭載艦なので世界最強の7隻の1隻としてビッグ7と呼ばれます。

(当時の日本では「長門陸奥は日の本の誉れ」(陸奥もビッグ7の1隻)でした)
1936年に近代化改装を行い1941年12月8日の太平洋戦争開戦を迎えます、当時の長門日本海連合艦隊旗艦。
あの有名な「ニイタカヤマノボレ1208」の開戦を告げる電文は長門から発信されています、
大和へ旗艦を移した後、長門は数々の作戦に出撃しますが戦局も終盤になると物資不足の為に出撃することはありませんでした。
終戦アメリカ軍に接収されクロスロード作戦の標的艦としてビキニ環礁へ移動し、第1・第2実験に挑みます。
第1実験(空中爆発実験)後の長門はほとんど無傷・運行に支障無し(爆心地から約1.5km)でした、第2実験(水中爆発実験・爆心地から900-1000mの位置)後の長門は、右舷側に約5度の傾斜しただけでした。
第2実験の4日後の朝、関係者が長門のいた海面を見てみるとそこに長門の姿はありませんでした、夜間に誰にも見取られることなく静かに沈んだようです。


自分は世界の軍艦の中で長門が大好きです、他の戦艦には無い条約時代に「日の本の誉れ」とまで謳われた栄光の日々、戦中の物資不足で思うように活躍できなかった日々、核実験に耐え他の標的艦が沈むなか日本海軍の意地と誇りを見せてくれた長門
散り際が、もの悲しくも美しい戦艦はそうありません。